tsuyukusa's blog

心理学あたりのあれやこれや

関係流動性と文化差

地理的、地勢的、民族的要因などから関係流動性が低くなりがちな地域と、高い地域があります。関係流動性とはいやな人間関係、社会関係があったらそれを離脱して他の集団へ加入する容易さ、そのような関係変化の起こりやすさを示す概念です。他集団と接触機会も多く、民族混合、転職などが起こりやすいかと言った点に反映されます。おおむね日本はとりわけ近代まで関係流動性の低い地域であり(中国、韓国からの「入り」は多いが「出」=出っぱなしは少ない、出の方が重要)、アメリカ社会は極端に関係流動性の高い社会です(補注 本日の朝日新聞のオピニオン欄にもサンフランシスコでは20年で人口の6割が入れ替わったと語られていました)。国内においても地方はより関係流動性が低く、都市部は関係流動性が高く、近年この傾向は(関係流動性の高まり、転職、離婚など)強まりつつあります。
 
 
さて、関係流動性が低いと生きるために群れに所属している際に村八分など群れから社会的排除されることは致命的で。他の社会集団に再加入しにくいからです。(いじめられても転校しない。なぜなら転校先でも「よそ者」「新参者」としていじめられるコストが予測されるから) すると集団への同調性が高まり、和を保とうという意識の方が強くなります。集団内で割り振られる役割を全うすることが重要であり、目立つ必要もありませんから、高い能力を示すよりも「良い人」であることが集団内で望まれます。関係流動性の低い社会では、メンバーが固定的になりますので、メンバーどうしが見知ったもの同士となり、そういった社会では「悪いこと」をすると代々「後ろ指をさされる」ことになるので、失うもの/得るものコスト・ベネフィットが不利になるので、あえて悪いことはしません。これを「安心社会」と呼びます(山岸俊男)。「人は悪いことをするはずがない。なぜならそんなことをしたらみんなで指弾されてかえって大損だから・・」となります。家に鍵をかける必要もありません。
 
それに対して、異民族に流入、混合が多く、ひとびとの動きがはげしく、多様な選択肢があり、つきあう人を変えていきやすい関係流動性の高い社会では、そこまで集団に律儀に尽くさなくても「イヤなら出て行けばいい」だけです。したがって同調よりも自己主張が優勢になります。個人中心で考え、むしろ所属集団は自分の個として希望や欲求が叶えられるかどうかという観点から所属すべき集団を選別し、自身の能力が発揮しやすい「場」を求めるという発想になります。現在でもアメリカの18歳の大学選びは故郷から離れるケースが多く、アメリカ全土から自身に適した(&成績が該当する選択肢のなかから)大学やコミュニティカレッジを選び、コミュニティカレッジに入学した者の学習したい多くの者がさらに別のユニバーシティに編入学します。変動性は開拓時代ならばなおさらです。
 
関係流動性の高い社会では周りは知らない人だらけという時をしばしば経験します。したがって「安心」できません。しかし、そこから積極的に人間関係を展開していくと得られる利得が増えます(取引機会の拡大)。利得を増やすには取引相手の選別が重要なので、「信用できる相手」かどうか見極める目を養うことが肝要です。アメリカ人の方が顔から信用のできそうな人を選び取るヒット率が日本人より高いという実験結果があります。このような社会を「信頼社会」と呼びます。信頼は無条件ではないので、信賞必罰であり、裏切りは報復されます。一方関係流動性が高いので「欺して逃げる」ことも一定割合可能です。信頼してもらいたい立場から言うと、「あなたはわたしと相互作用するとよいことがありますよ。わたしはこれだけあなたの役に立ちます。こういったことができますし、わたしは高い能力をもっていますよ」という就活みたいなことが日常になります。自己宣伝社会です。したがって「高い能力」を持つことが推奨、奨励されることになり、短期的な関係で変動していくので、人間関係は二の次であるし、取引上は取引関係でしか関係を求めないので私生活は無関係、無干渉となりやすく、人柄よりも求める仕事ができるかどうかが肝要になります(友人形成とは求める特質が異なります)。
 
 
(なお、「欧」「米」を一律に扱いやすいですが、米と欧では異なり、人に対する「一般的信頼尺度」で測定するとアメリカ人の値はやたら高いのが特徴で、日本は低いですが、ヨーロッパもそう高くなかったりします。「一般的信頼」=見ず知らずの人をデフォルトでどれくらい信頼するかってことなので、信頼の域に達するまでヨーロッパの方が「敷居」が高く、アメリカはまず信頼するところから始めちゃう(話が早いわけですね)という違いがあります)
 
このような点から関係流動性の低い社会では自己非難や自己卑下的自己呈示、関係流動性の高い社会では自己高揚的自己呈示がメジャーになります。
 
日本は現在、関係流動性の高い方向に変化していますから、徐々に「自己高揚的自己呈示」が評価される方法に変化していくと予想されます。仕事を請け負うのに、コネや知り合いであるといった要素よりも「能力が高く保証されているか」が重要な点になっていくわけで、現に外資系やトレーダーの引き抜きではすでにそういった採用が顕著です。
 
おまけのことをいうと関係流動性が低いと「失地回復」「やり直し」が難しいので一度失敗すると落ちていく、「すべり台社会」となりやすく、犯罪者の更生、精神障害者の社会受け入れも困難です。いじめからの離脱もより難しいタスクとなります。特定の集団の「社会的排除」の効き目が強く働くことになります。