tsuyukusa's blog

心理学あたりのあれやこれや

雑感:簡単なからくり

利益誘導のからくり

 

これまでこんな簡単なこと、わざわざ書く必要もないと思っていて、たぶんわたしのこれ読んでいそうなものの分かった知識水準高そうな人には届ける必要もないメッセージかと思うのだが、一度書いておきたい。

 

今日もツイッターを眺めていて、政府が進める消費税導入に対する減税、還元的政策のひとつとしてのキャッシュレス支払いでのポイント還元について、そこにつけた予算2800億のうち、3割くらいが「開発費」として使われるらしいということを指して「バカなんじゃないか」というつぶやきを見た。

 

しばしば、こうした政府の政策の矛盾や予算の無駄使いについて「バカなんじゃないか」と(まるで)無駄さに気づいていないかのように(本気でないかもしれないが)呆れたり、揶揄したりするメッセージもあるわけだが、そんなことつぶやいても言い募って叫んだとしても何も変わらない。

 

これは確信犯的な利益誘導だからだ。

 

このたびの政府でものすごくあからさまに一貫しているのは、無名の庶民、市民に金を配るのは極力やりたくない、自分たちの知り合い、得になる筋の方に金を分配したいというやり方だ。

 

明瞭な話、森友の最初だってかつては仲良くしていた知り合いに、国有地を安く譲るということで、要するに簡単な金の流れから言えば、国民の税金→政権関係者の懐 という公金の私物化とひとことで言えば全部が説明されるすべてが一貫しているようなことばかり。

 

昔は派閥政治で派閥間の競争に自民党内で勝っていかなければならなくて、昔の経世会のようにだから何が何でも選挙で仲間を当選させつつ力を示しさらに当選者を派閥に引き入れ数を増やす戦略のように、その実施には資金が必要だった。

 

今もある程度これはあるだろうけど、最近明瞭になってきたのは、ポピュリズム政治で勝っていくために電通はじめあらゆる広告やネット発言者への謝礼、肩を持たせる芸能人、テレビ人、コメンテーター等要するに「メディア対策」にいくら金があってもあり過ぎということはなく、昔現ナマで票を買っていたのをメディア経由で金で票を買う作業をしているのだ。

これが非常に有効に働いているので、本当に資金はいくらあってもよいし、応援団はいくらでもあっていい。

 

庶民は浮動票であって直接相手にはしないが、メディアを通して影響を与える。その費用は惜しまないから金を出すもとになる大企業や電通など儲けさせる構造をつくってその「おかげ」で工作をする。

実際の金のやりとりもあるのかもしれないが、特に電通だとオリンピック誘致、利権の受け渡しをすればそれだけで十分儲かるから、御用とあらばいまさらそこで金を授受しなくても政権のために働いてくれる。

大企業も安い賃金で労働者を働かせることができる法案を通してくれれば献金を惜しまない(ある程度)。

 

昔から自治体でもなんでも年度末に金が余ったら決して庶民に還元するのではなく、道路工事をする。そうすれば建築業者が潤うからだ。

(昔はケインズ的に景気効果を信じていたかもしれないが、いまどき信じてやっているやつなど誰もいないだろう)

 

だからポイント還元だって、要するに「雰囲気づくり」だけで景気がそれほど沈まなければラッキーと思っているわけで、政権は庶民に金を私よりもシステム業者(関係のある)に金を渡したいだけ。

 

沖縄の辺野古の問題も実際に米軍がそれを必要とはしていないのだから、建築業者に金を払いたいだけで工事をする。

 

大学無償化の方向だって、ただで配るのではなく、産業界や官庁の人員の天下り先を大学内に確保する構造を永久化するためにやっている。

 

だから政策をやっている方、官僚は政治家はそれほどバカってわけではない。少なくともそこら辺の庶民よりは賢くて、自分たちに得になることを合理的にやっているだけだ。

 

権力を維持するために→選挙で勝つために→メディアや周辺の人に圧力をかけたり、金を配ったりするために→利益誘導になる政策を進める

 

たいへんに合理的だ。

 

加計学園だって、関係者に補助金が渡るように、儲かる(つぶれない)ように政策を進めるということだし、オリンピックも万博も昔ながらに建設業者や広告業者、さまざまなイベントが稼ぎ場所になる業者のためにやっているので国民のためにやっているわけではない。

 

だから今、政府の行動を「国民のためにならない」「ひとりひとりの庶民にとっては得にならない」と指摘するのは当たり前で今更で、だからと言って言わないでいると損であるから、もっと有効な方向で訴訟を起こすとか、行政訴訟とかいろいろやればいいのだろうが、最終的に最高裁判事を人事で牛耳っているので裁判で政府が負けることも絶対にない。やりたい放題だ。ここまでかなりやりたい放題にやってきてまだ政権は倒れないし、支持率もそこそこだからある意味ますます自信を持って、もうあからさまにばればれでもやりたい放題という勢いなのだろう。

 

支持率が本当かどうか分からないがある程度支持されているのも本当だろう。そのことについては以前いろいろ(前のブログで)書いたから今更繰り返さないがメディア効果も貢献しているのだろう。

 

教育、福祉予算が投じられないのは、特段そこに有効な関係者がいないからだ(いるところには投じられている)。大学の理事長が全員今の政権の関係者になり替われば、もしかしたら文教予算も増えるかもしれない(笑)。今の政権の男女差別体質を考えれば、要するに政権から見て「おんなこども」とかにつける予算はもったいない(今回幼保無償化するが、ずっと反対していたわけだ)。これだって本当は、そんな使い方するよりは、預ける場所を得られていない待機組には何のメリットにもならないのだから、むしろこども園を増やしたり、保育士の給与を上げたりする方向に使う方が国家運営としてはまともなやり方だが、それは「自分たちの利益にはならない」からだ。だからしない。

 

どんな仕事も給与水準を押し上げたりしないで、外国人労働者を入れて安く働かせる、賃金水準をあくまで低く抑えて保つ、これが企業全般の(愚かな)願いだから(だから日本の労働生産性が高まらない)、こうして企業に得させたり、法人税を下げたりすることで企業の要望、経団連の要望にこたえて応援をいただく。保育士を応援したってそれで選挙を勝てるわけではない(と思っているというか選挙基盤をそこには置かないのが自民党だと定義上も言える)。

 

どちらかと言えば、こうした政権や得する人たちの群れのなかに近い、我が同窓生たちは同窓会でそうした利益誘導を実際喜んでいるし、確信的にそうした政策を支持している。これも明白な証拠である。官僚はばかではない。ただ残念なのは出世への有効さ(自身の地位、名誉、給与)と引き換えに長期展望で言えば日本にとって自滅的な政策もたくさん放たなければならない状況になっている。 水道の民営化可能性についてもそうだし、働き方だって外国人労働者問題だって将来への軟着陸や準備としては悪手であること間違いない。

 

しかし、そこを真っ当なことを言って反対する官僚は完全に左遷されていくわけだから権力とはものすごいものだ。

 

正直帰国してそろそろ政権は倒れるのではと思っていたのに、意外に長続きするものだから、なんだかいやな感じで今年の同窓会は欠席だ。なんかこの国の今の下卑た、金儲けだけの卑しい風潮のなかではこちとらの居場所はない。精神だけで霞を食っては生きてはいけないけど、かろうじて食べる物がある程度で、わたしはいい。それで十分。他人の不幸にあぐらをかくことは好きではない。

 

自分はそうした心持ちをずっと持っているが、近頃の社会支配志向性を見ていると、やはり上層の空気はそうした振る舞いを正当化する勝者のおごった在り方に臆することなく居座る傾向が増しているような気はする。

 

格差と秩序はトレードオフの引き換えだと(実はそうではないが)、脅せば、近頃の秩序大好き、不安野郎たちはどんなに変なことをしても「安定政権」とやらを支持することが自分たちの安全と強く結びついているのだと錯覚している。

 

なんて汚らしい世の中になってきてしまったのだろうか。

 

昔の原岡一馬先生の態度の論文を見ていたら、「当たり前の議論のネタのひとつ」として原水爆実験に対する日本の反対声明みたいのがあって「ああ時代だなぁ」と思った。今なら反対の反対で、日本の核武装のために日本も実験したいと言い出すやからがそれなりに多くいるのだろう。そしていつまでも核技術者の養成ということから原発廃炉できないのだ。 

 

こうした日本国の運営をどうしたら変えていけるのだろうか。