tsuyukusa's blog

心理学あたりのあれやこれや

卑弥呼?

メールチェックしてたら、入り込んでいたルネサンス編集部とかやらの記事に東北大学名誉教授が「卑弥呼はいなかった説」を唱えているとのことで、その論拠のひとつは「卑弥呼神社」がないことだという。

 

面白い着眼かもしれず、確かにそうだ。

 

しかし、たぶんめっちゃ間違った話で本当に編集部の捏造ではなく、東北大学の先生だった人が考えたのだろうか? 稚拙すぎて信じられない。

 

暇・・ではないが、今一瞬仕事が一段落した。引っ張り続けて遅れていたひとつの大きな案件をとりあえずメールすることで一歩進めて手放したから。

 

ちょっと昼休みとして書いてみる。簡単な「論駁」を。

 

これは大臣神社や課長神社がないのと同じではないだろうか。

そもそも日本の文書に卑弥呼という人物が記録されているわけではない。

 

中国の魏志倭人伝卑弥呼とあるだけだ。

 

日本通の人、あるいは使いのものに、あなたが使えている人は誰だ? お前たちの代表は誰だ? とか聞かれたら、「王様です」とか「社長です」と答えるのではないか?

まだ文化差もよく知られていないし、異文化コミュニケーションが発達していない時代で、翻訳は慎重にしないと間違いが多々生じる。

 

アメリカなら上役に、Mr.Smithとか場合によってはランチ食べているときにはGeorgeとか呼びかけるかもしれないが日本ではそんなことはしない。アメリカなら兄にTomと呼びかけるだろうが、日本では「兄ちゃん」というかもしれない。

 

名前は大切なものなので、それを用いてあまり呼ばない風習が日本にはある。

千と千尋にあるように、本当の名前を奪うのはその人物を支配することになるという言霊的な思想があるからだ。

 

だから、安土時代の武将は、「信長様」なんて絶対に呼ばない、打ち首だ。

実はこの頃は考え方も同じよびかけ用の「字(あざな)」というものがあった。ただし戦国のころは仮名(けみょう)と言った。信長の仮名は三郎だ。家族は三郎と呼んだだろうが、のちの家来が三郎と呼ぶわけない。呼び名さえも呼び名として使えなくなるのだ。(信長は諱(いみな)という、生前にめったに使われないこともある)

 

だから日本では、「いちろう」ではなく、「課長」「部長」と役職で呼ぶ。

昔なら「右府殿」「筑前の守」とか呼ぶわけだよね。これが日常のふつうのやり方だ。

 

だから古代にたとえ、日本の女王の名前が「さちこ」だったとしても臣下が人に尋ねられて、うちの王は「さちこだよ」なんて答えないわけだよね。

口語でいえば、「ひめさまです」と答えたかも。姫巫女ですよね。

姫御子かもしれない。記録からするとシャーマニズムしていたから巫女といっておかしくない。ただし、この頃は今のような一定の漢字表記というのは定着していなくて、ふだん口から話す日本語を記録するとしたら、ひらがなもないので、適当な当て字で漢字を利用することになる。

 

よく指摘されるように、中華思想ある中国では周辺国を東い伝といって悪い感じだからIMEでなかなか出てこない。とういでんでも変換されない。

それくらい悪い言葉で呼ぶのだ。姫なんていいことばを使わないで卑しいってな字を使うわけだ。だから国内に卑しいなんて字を自分でつくって、「卑弥呼神社」なんて立てるわけがない。そして、姫御子は一般的な敬称だから、のちの古墳時代では、それぞれの王(天皇)の古墳ができたように、まつるのならば、もっと立派な名称で作られるだろう。

 

ここからは少しわたしの飛躍だけれども、それはアマテラス(天照)と関係あるかもしれない。卑弥呼は日巫女かもしれない。なぜ皇祖とされるアマテラスが女性なのかという点も含み、シャーマン的尊崇が実体化されたともいえる。

だからキリスト教で、神、イエスキリスト、精霊が三位一体であるように、素朴な精神のなかで、太陽信仰=太陽=神→その神の御子=巫女=日巫女 という話が十分あり得る。神の意志を伝達する神と一体化したシャーマンである巫女。だから卑弥呼そのものではなく、その「本体」である太陽神、天照大神をまつる神社はいくらでもある。

 

卑弥呼の没年は皆既日食の年と符合しており、当時の太陽信仰のもとでシャーマニズムがあったと考えると、年老いて霊力が衰えたとみられる(それ以外に政治的原因があったかもしれないが)世代交代を望まれていて卑弥呼が、皆既日食パニックより責任をとって?殺害されたというのはそれほど無理のない筋立てだろう。

 

その後、後継者となった台与(とよ、いよ)という女性、新女王があるが、これも「豊」というのは日本を豊葦原と呼ぶように、また歴代天皇の名前のなかにしばしば豊というの含まれているように、縁起がいいのか、支配者一族の通字みたいなものかわからないが、精神的にはすでにそうしたと尊い通字みたいのがあったものと思われ、それがまた(一部の日本)の代表として呼ばれ、その歴史的流れが、「豊前とか豊後」とか

が九州地方の地域名として保持されていることにも表れていると思う。どこかの時点で王族は九州から近畿に移動したと私は考えているが(厳密にいえば初期の大和朝廷はひとつの王族ではない連合政権的要素があると思うが))、実際に豊後、大分には皇祖ともいわれる皇室に関係が深い、今も天皇によって重要な時々にお参りされている宇佐神宮がある。

 

いずれにしても、魏に高官?に問われて、説明したのはまるまる本名を明かしたのではなく、「役職名」「人々からの呼び名」を回答したところをそれを音の対応で悪字をあててあらわしたものが卑弥呼であり、そんな神社は当然日本にはない。これはその魏志倭人伝にある卑弥呼という存在の実在性を否定する証拠には何もなっていない。

名誉教授の文献を読めば実は内容的に同じことを書いているかもしれず、出版社がセンセーショナルに「存在しなかった」と宣伝を打っているだけの可能性もかなりあるから、こういう説明自体すでに当然で、藁人形論法になっているかもしれないが、暇がないから調べられなかった。雑談として格好の材料だから書いてみました。