tsuyukusa's blog

心理学あたりのあれやこれや

ふしぎな

Yahooニュース と言っても、評論家個人が投稿しているもののようだが、

TY大学の学生のことが話題になっていた。

 

なんでも当大学のT教授について批判的なチラシをまいていたというのが概要のようだ。わたしは事実確認はできていない。 TY大学は日に3回くらい掃除をするので

チラシなんてそこいら辺に落ちていることはないのだ。その点、となりまち本郷のT大とは違う。

 

だから不明なことを前提に「もしネットで書かれているチラシや看板?が本物の事実であり、特定の1人の学生をそれを配布していた」のが事実としたらというカッコつきで論じる。

 

まず、名指しされた当のT教授のことはおいておく。あとでも述べるが、学生をむやみに排除してはいけなのと同様の理屈で安易に大学教員を排除してはいけないし、その主張が特定の人々にとって不愉快なものであってもその人が「授業をしてはいけない」ということにはならないからだ。そうなったらまさに返す刀で言論の自由が奪われてしまう。それよりも「議論」すればよいのだ。大学は議論の場なのだから。

 

さて、ちまたで、学生があたかも処分されたかのごとく、ツイッターで炎上し、この大学が暴挙を行う大学であるかのように非難する向きもすでにある。

 

冷静に順をおって考えるならば、学生が何をしたってその場で特に処分されるわけでない。その点、おそらく事実関係が完全に間違っているものと思われる。つまり誤報が大々的にリツイートされたりしているわけで、ある意味実にツイッターらしいことだ。

 

処分の権限は教授会にあり、ここではおよそ月に一度しか教授会は開催されない。試験時期だからちょっと回数が増えることもあるが。

 

だから、かつての学生の犯罪的不祥事でさえも、処分決定まで3か月くらいかかっている。とりわけ他学部の教授会にそれが知らされるのはさらに遅れるケースもあるかもしれない。ちゃんと民主主義的な手続きを経ているからだ。

 

まぁもしかしたらもしかしたら、可哀そうかもしれない学生さんにとっては(普通)、そんな大学の仕組みや機構は見えないから、ひとりの職員に声をかけられて小部屋に案内されて叱責を受けたら、それが「大学全体の態度」と考えてしまうかもしれない。

 

仮にたとえば、「そんなこと続けていたら退学になるかもしれないぞ!」とか強く言われたら、「大学から退学の警告を受けた」と受け止めてしまうかもしれない。

 

しかし、しかし、「退学の警告」なんてものはそもそも公式に存在しないし、注意や譴責、警告、休学措置、退学措置などのいわゆる処罰的な決定は、当該学生が所属する教授会で審議の上、決定され、学生が思う以上にこの大学は学部ごとにたこつぼ的に審議、処置がなされるから(大きな大学ではそれが当たり前で、別に悪いことでもない)、全体の意思決定に近いことは、全学の学部長・研究科長会議で情報共有され、検討されるのだ。各学部での審議結果がそこにあがってそこで最終的に決定がなされたりする。あまり多数決でやったりせずに粘り強く全会一致になるように話し合う傾向がある。

 

さらに、私立大学はそうしたいわゆる教学側の会議と別に、理事や評議員という法人側の存在、役職があり、理事会という別組織が大学運営事項について審議し、方針などを決定している。土地の取得や新学部の設立など財務的な要素が関係する議事は最終的に法人の承認が得られないと動かないし、法人側から発議されることがある。どこの私大組織でもよく見かけるものだ。 大学によっては理事長と学長が同一人物で一致して事実上、あまり教学側の会議をしないところがあると側聞するが、ここでは一応別々に会議が常にもたれている。まぁ健全な方だ。

 

だから、何か学生が行動したからといって、すぐどうかなるわけではないし、言われているのは正規な「処分」でもないから、メディアは知りたければちゃんと取材すべきだ。あるいは、正式な処分があってから話題にしないと、何を論じたらいいかさえわかない。

 

ツイッターでは、東洋大学教員はみんな黙視しているのか!みたいな煽りもあるけど、公的にまだ何も起こっていなければ、審議もされていなければ、仮に「反対!」みたいなことがあったとしても、反対もしようがない。それに前提はどういう事実関係かだ。言われていることが事実だとしてもそれが何回か繰り返されたのか、以前注意を受けていたのにまた繰り返したのか、校内で大声で叫んでいたのか、今試験期間だが、試験実施中に教室に聞こえるように大声で叫んでいたのか、とかこうした細部が重要で、事実が認定されないとどうしようもない。

 

人は大学においてももちろん思想内容や主張内容で裁かれたりしないが、一応校則ではタテカン禁止であるから、それも試験時間内の静粛を破ったり、通行を妨害して、マイクなど音量のあがる機器、あるいは大きな声で叫んでいたら、処分ではなく、まずは職員が普通に注意しにいくと思う。もちろん注意=退学であったりはしない。

 

おそらく学生課の職員が来たのだろう。キャンパスは学生数に比すと狭小だから、教室棟からすごく離れた学生エリア、たとえば学生会館や生協だけがあるような駒場でみられるようなエリアがここにあるわけではなく、どこにも教室があるから難しい。

正門でやっていたら入試課が、6号館でやっていたら学生課が、8号館入口でやっていたら広報課がそれぞれ1階にあるから、すぐになんだなんだとかけつけてくるだろう。

するとまぁやっている方も何が起こるか予測できる確信犯なのかなぁとも思われる。自然に想像して、むしろ初めからネット炎上ねらいなのかもともこの時代だから思われる。それで仮想敵を炎上によってなんらかのダメージを与えようとする作戦とか。

想像だから安易なことは言えないが、そう考えないと授業が全部終わった今時期に改めて「授業をするな」という授業担当を否定するような文言の意味がわからない。言いたければ学期が始まっていく10月に言えばいいだろう。

 

もし事実だとしたら、わたしの個人的見解としては、まず討論会でもよびかけるのがよい方法だと思う。まじめに議論したいのならば。 教授陣のなかから反リバタリアン的な主張をされている経済学部の先生でもつかまえて相談して、公開討論会でも学園祭で開催したらおもしろかろう。

 

もしも今までそういう試みを誰かにつぶされてきた経緯があるのだとしたら、また広く情報を勘案しないといけないが、そういう試みが全くなしでいきなり自分の敵認定の人をあしざまに批判するなら、目的は討論や議論によって真実や正解を見出そうとするアカデミックな大学の志向性とは異なる「とにかく敵をやっつけてダメージを与えたい」という社会心理学で言えば、意図的な「攻撃行動」のひとつの発露になるわけで、衆目のなか攻撃行動という行動を確信的に演じるならばそれはそれなりの覚悟があるのだろう。攻撃行動はいきすぎると当然、法に触れるし、発言やチラシも表現方法によっては名誉棄損になるからだ。チラシという文書で公に配布する際にはそれはよく注意して、事実から逸脱しないように極力注意をしないといけない。問われればちゃんとエビデンスのある情報に基づいて、いいかげんな嫌疑をかけて誇大に語るとまずい結果を呼び、それは社会運動論的に述べてもあまり賢いやり方ではない。

 

ただ、さきほど挙げたようにもし始めからネットでの炎上ねらいならそういったやり口もあるのかもしれない。

 

ここからはごくごく個人的な印象だが、事実なら きれくはないがある意味よくできたチラシであるから、ふつうに考えて、一人の作業ではないなという直観だ。長い間ここの大学生を見ていての直観だ。指導や相談がある。それは悪いことでも犯罪でもないが、いざとなったらそれは明らかにしてフェアに発言してほしい。無垢で素朴な大学生が突然ある日、義憤にかられて一人の作業でチラシ等を作成してある日街頭演説を始めたなどとしらを切るような、人をだますようなウソは言わないでほしいなぁという1点だけだ。ホント社会運動論として、こういうやり口はあまり有効でないと思うぞ。

そして、授業するなとか、他者の口を封じようという志向性は、たとえその人の夢見る理想的な社会ができあがりそうになったとしても、それはジャコバン的なやり口で、必ず気にくわないことをいう他者の口を封じようとする弾圧につながり、別の人権抑圧につながる方向性を持つ。 歴史の教訓を知るべきだろう。

 基本的な対話を拒絶する方向性からは広い国民的支持は得られないものだ。

 

そして大学という場はそういう経済思想をもとうが、その議論が可能な場であり、

何か過去の間違いで弁明聞きたい、謝罪をしてほしいと思うなら、まずそれを申し入れないと始まらない。街頭で叫ぶことはてっとりばやい方法でもなく、まずは文書で問い合わせや申し入れをするべきだろう。そして、学生たちは、左からも右からも広く講義を通して話を聞き、議論し、自分たち自身の考えを主体的に醸成していく場が大学なのだろうと思う。多様な考えを語る多様な教員がいてもいいのではと。

 

ただ、おまけで言えば、こうした炎上の危機管理としては人事もそういった目や予測はもっておいた方が組織運営上は今後必要じゃないかなと思う。 昔から危機管理については、ちょっと弱いところがあるなぁとは前からの私の印象である(実証的な経験がある)。