tsuyukusa's blog

心理学あたりのあれやこれや

進化

進化は変化です。単純なイメージで「発展」していくとは限りません。

 

さきほどのランナウェイや平均回帰を考えると、よほど選択される形質、性質でないとランナウェイしないことがわかるでしょう。

 

「頭のよさ」とか人はひとつのことを考えるとつい他の面のことを忘れがちです。

一般的に「頭のよいことは良いこと」とされているので、「進化はよいこと」という誤解と相俟って、「進化すると頭がよくなる」と思いがちです。そうかもしれないですが、「頭のよさ」とはいろいろあります。たぶん「適応度」が高いのは群れのなかで適応的であり、よく群れに貢献できるような個体かもしれません。最近の流行で言えば「情動知能」が高いというタイプである感じ。

 

高度な数式を処理できるとか、ものすごくマニアックな情熱をもって家庭や人間関係を放り投げても自分の専門稼業にまっしぐら! という人は本当に「適応的」でしょうか? 実際、性淘汰上これは周囲を見渡すと簡単にわかります。そういったオタク的な人は大人気でモテるわけではありません。むしろ多くの一般の人からは遠ざけられる人です。

 

こういった特別な一分野、ある種の特定的な「頭のよさ」ではその分布の端にあるはずれ値は、通常のはずれ値なりの不適応になりかねません。下にはずれたって、上にはずれたって生きにくいのです。その辺、偏差値学校(受験)文化は人々に勘違いさせます。偏差値高かったら優秀。いや外れ値は不適応かもしれないのです。

 

もちろん学力偏差値高くて情動知能も高ければモテるかもしれませんが、そうでない場合は繁殖力が弱い。だから高学歴の人の方が(晩婚化という文化条件以外でも)少子化していったとしても、進化法則にとって何もおかしくありません。

 

進化は社会でなにか「よい」とされている方向に発展することといった勘違いがそれを不思議に思わせているだけであって、コンパで東大生が嫌われたりしたとしてもそれは情動知能の低い偏った学力だけが高い外れ値が性淘汰されていくプロセスに過ぎないと言えましょう。