祟り、怨念
最後の話で、死んでから祟られても困るから祀っておこうという話の感想がいろいろあり、追加です。
死者の怨念を怖れることはある程度世界的現象で西洋の冒険物語でもときどき出てきます。死者が何かの思いを残していて伝えたいと。 でも恨みでやたらめったら被害を与えることは日本の方が多いです。
いわゆる「化けて出る」というやつで、四谷怪談とか。
恨めしや~とかみんなそうですね。だから日本人にとって幽霊は人間だったりして、人間である方がある意味怖い。
西洋では映画のゾンビなど死者が元ではありますが、その死者はもう元の人間の思想や意図などなく「ゾンビ化」することで「人間でない」なにものかになっていて、「心がない」わけですね。そういうことによって「心の通じない」「異世界」のものという方が西洋人には怖い。理性に基づく言語的コミュニケーションが成立しないのが怖いのです。
だから「エイリアン」的な何かとかあるいはもう生き物かなんかわからないようなネバネバ、ドローっとしたものが侵入してきたり、体内に入ってきて体を突き破ったりがホラーになるわけです。そこに「心」や「人間的要素」はない。ないことが怖い。
でも日本は逆に人間らしい恨みがパワーアップして強い力の恨み、すなわち怨霊になることの方が恐ろしいのです。あくまで人間関係志向であり、その裏面として「人間が怖い」のです。