tsuyukusa's blog

心理学あたりのあれやこれや

正直に言ったら許そう

関係流動性の低い社会では成員性は当たり前でメンバーであるからもう信用できるってわけで安心なんですね。そこをちょっと不正をして裏切った人が受け入れられるのに当たって重要なのは顔の見えるメンバーとしてその「心根」「心持ち」です。また同じ集団のメンバーとして一緒に生きるためには、「反省」して「悪かった」と思い、周囲に萎縮して申し訳なさを表明する「人の良さ」「善良」を示すことが何よりも重要です。

 

だから「起こったことの正確な事実は何か?」みたいに科学者の追究するような真実追究にそういった社会では興味を持たないのです。「気持ちが済まないと思っているか」が再びその人と一緒の集団で生きていく大切な要件です。

 

だから罪を認めて潔く謝った方が許されやすい。罪の中身はどうでもいい。そこから責任を明確にすることも不要。謝る態度だけが重要だからです。

 

そうではない世界では「何が起こったかを把握し」それを合理的にみんなでストップできるように「原因を解明し」「再発を防止」することが重要でそのために「事実、真実」の追究に注意が払われます。逆に「どう思っているかはどうでもいい」のできちんと真実が解明されたら、しかるべき責任と罪が責任者に帰せられるわけです。

 

そして日本では本当の意味で再発防止に熱心でないので、何度も繰り返し同じような賄賂、談合、偽装といった相談上のうちわで決められた不正が起こります。関係者(だけ)が納得する集団内でのうらみっこなしのコミュニケーションが重要なので情実や談合が文化的に正当化されてしまう力学が常に働くからです。ウチが得をするときにソトが損をする。そのソトの損に注意が常に迂闊なんですね。