tsuyukusa's blog

心理学あたりのあれやこれや

年末総括

東京に戻ってきたのはきわめて私的な事情だということは以前記したが、大学を移ったことの1年の総括を書く。

 

研究環境はよくないが戻ってよかったというのが総括。

 

とにかく、かつて18年間いたところだから断然居やすい。居場所がある感じ。自分はそもそも人間関係が下手だから時間とかでカバーするタイプなので、長く居た人たちに囲まれていると楽である。先方がどうだかわからないが、こちらは楽させてもらっている。

 

一応着任したてなので、卒論生が免除とかで仕事も多くない。

 

入試委員もこれから本格かもしれないが、ここまではそれほど忙しくない。全くといっていいくらいで、もう昔ほど各学部の意向であれこれ根本から決めたりしないからなのだろう。法人でやっちゃう部分が多くて教員の出る幕がないと言ってもいい。学科長は別だろうけど。

 

それから学科内のいろいろで場合によっては翌年学科長を引き受けさせられてもやむなしと思っていたが、幸い免れて本来の行くべき所に行った(本来の人が結局仕方なしに引き受けた)。

 

3年ゼミの人数も自分至上初めて6人とか一桁台で助かっている。一応来年うち半数の3人が卒論執筆予定と出たが、一応書類出しておくって感じもあるから全員生き残るかは分からない。3人くらいだとかなり楽しみにながら指導ができるだろう。

 

いろいろな事情で当初こっちに来たM2も専攻長に指導替えになったし、責任指導の立場にある院生はゼロ。来年の入学生には割り振りがあるだろうけど。残念なのはちゃんとこちらの指導を望んで受験した院生は今のことろゼロ。TYでは院生の意図100%でなく、専攻で指導者をわりあてるやり方をするので(複数ゼミを履修するし)、K大のように初めから研究室訪問して指導希望教員を書かせてその人が面接して取る取らないを決めるシステムではない。だからモチベーションは低いし、事前知識がほぼないのが残念なところではある。いちから学ばせないといけない。

 

しかし、もうお仕事だと思って割り切れば、ある意味の社会貢献だとして、あまり昔のように「弟子を育てたい」みたいな夢は描かずに、ひとのポテンシャルを引き出す職人みたいな役割でやればいいのかと思う。

 

4年生は持っていないし、今の3年生も大学院に行きそうな者はいないので(ひとり留学しているやつを相当説得したら院進するかもしれないけど人生を曲げて責任を持てないしな)、当分長い年月かけた育てあげなど無理っぽいのだ。

 

そしていいか悪いか予想外だったのは、自分がいなくても(いなかったときも)、それなりにはなんとかうまく回っていて(そりゃ当たり前だが)、かつての自分的な役割をとれる人もそれ以上うまくやれる人もいたということで、相当困っているのではないかという予想はある意味自分勝手なうぬぼれであったということだ。

 

だからそういう意味では自分は今特に何かポジションとして必要ってわけでもなく、それは責務のゆるさとして研究的にはすごくラッキーで一抹の寂しさもあるがそんなのつまらない感傷でお蔭で研究できることのメリットと嬉しさの方が莫大に大きい。

 

研究環境が悪いというのは、ただ実験室がほぼないことと、科研係とかにあたるところのスピードが遅いこと、大学のマイルールがしょうもなく効率も悪くいちいち資金執行するのに手間がかかり過ぎること。でもまぁ大きい大学でその係があるだけマシで、慣れの問題だから手間暇はかかるけどそれに適応さえすれば、事ができないってわけではない。

 

新しく持った社会調査実習もやりようによっては面白く役立ちそうだし、研究方法も実験一辺倒ではなく、やり口を少し変えたので、たぶんそうは困らないかなと。ただ、かつてのTYでもK大でも実験者をやってくれていた院生というものがいないし、思ってよりそもそも「社会心理の院生」がほんの3,4人しかいないのも意外だった。

 

Mの院生なんかやっていることは全員ほぼそれほど社会心理っぽくないし、実験のイロハもあまり分かっている様子ではないのが残念である。実験する必要がなかったりするわけだが。

 

社会心理学会や社会心理学専攻という名前だからと言って、社会心理学にまい進するべきでは必ずしもないから、学科の方向性として多様性や世間受け、受験生集めも視野に入れて、面倒な実験はやめる方向でシフトしていくのも時代の流れに合っているとも言える。中堅私大としては。その辺は自分が去る時にもそういった面でダメージ少ないと読んだわけだが、ある意味その予測は予想以上にあたり過ぎていて、細かい社会的認知なんてこの大学でやる必要はなかったという結論でいいのかと思う。ただ、ちょっとした説得的メッセージとかそうした社会心理の基本であっても実験技術があまりうまくないとか指導者がいない弊害はいろいろあるようには見えたが、まぁ下手な実験でも生きていけるといえばいけるので、日本の心理学自体が現在そんなに高いレベルであるわけではなく、正確に言えば上と下とで二極分化していると考えれば、上に入る気がなけりゃ何したっていいと言える。上に入る気がある者は、昨年もひとり東大に進学したけど、今は上の大学に院なら入れちゃうから、わざわざここに来る必要もない。

 

痛烈にいえば、ここでやることは限りなく研究ごっこかもしれなくて、それは日本各地のいろんな大学で展開している正直いって「研究の振りしているだけ」という甘々な研究だから、人生ルートのなかで「研究ごっこ互助システム」という内輪世界で生存を持続させているという風に思うと、他の滅び行く産業群と同じで、まぁ当面まだ社会の余裕であってもいいかもだが・・・といった部類である。そもそも今の日本人口でこんなにたくさん心理学の大学院なんて明確に不要だし。

 

そこで給料もらって飯食っててなんだが、裾野の広さとして敢えて正当化すればそのなかから5年に一度くらい意味ある研究して生き残る者が出ていれば御の字ではないかと思うのだ。

 

ただ、今のTYはすごいことに社会心理はそうした惨憺たる状態かもしれないが、犯罪方面では、Mで科捜研に採用される者とか続出する状況だから大規模私立大学として社会に有用な若者を見事に育てている責務は果たしているので、社会に有用に活用される専門職を犯罪、司法分野で次々と生み出す貢献をしている。逆に言えばそれだけ「社会心理」は直接すぐ即戦力として役立つ者を、調査会社に就職した数名を除けば、うまく育てられていないということだ。どういった方面に役立てられるか、また役立つにはどういったスキルを院生時代につけさせることを促すのかとかはまだ検討、研究していかなければよく見えていない感じなのであろう。皆が即戦力データサイエンティストでは全くないし、何に秀でているといえるのか心理学を学ぶことの大学院的意義を開発していかなければならないのだろう。

 

そうしたヒントは実際の経験者、OBOGなどの語る縦会で聴きたいところだが、今回15日は別の用で出れなかったが残念である。

 

たて会的な同窓集会は次年度以降も力を入れていくらしいから、学部のディプロマシーポリシーを検討する上でもいろいろな知りたいところである。クリティカルシンキングとか分析力とかずっと言っているけどあまりうまくは行っていない感触である。カリキュラム構成やナンバリングによる履修積み上げプランなどがあまりうまくなくて、学生さんがいまひとつ体系的に力がついていない印象である。調査実習を3年に回すとかいろいろ策はあるように思うので、来年以降再び再編委員として考えられる案は実行していこうかなと思うのだ。

まぬけな大失敗

最近、研究上はリフレッシュして、恨み、ケガレを軸に遠くまで目標を置いて4つ、5つそれにつながっていく研究を体系的にやろうとしているのだ。その出発点が尺度構成なのでいくつかそれ以外のデータもすでに取得済みなのだが、まず尺度構成論文を刊行させてからそれを前提に他のものも投稿して一歩一歩進めていこうとしていた。

 

尺度論文を投稿したのは11月初めだった。

 

そろそろ審査結果戻ってきてもいいだろうと思って、投稿サイトを見ていたら、なんと!!! 投稿した翌日の日付で論文が差し戻されていたのだ。それはほんのケアレスミスで、表を入れるのをWord横置きにしないと入らなかったので、書式の区切りを設けて部分的に横組みを入れていたのだが、何か手順を失敗したようで投稿した論文を見直してみたら、本文の書式がかわっていて横が30字になっていなかったのだ。

 

しかし、差し戻されたら連絡メアドに連絡が来ていておかしくないと思うのだが、その日付を検索しても全く出てこない。編集長の操作書式は知らないが、なんか「通知する」とかのクリックをしないと発信しそこなうこともあるのだろうか。通知がなくて全く気づかなかった。

 

いずれにしろ、1か月以上たって、自分で何も審査が進んでいなかったことに今更気づいてアホみたいである。 直して即刻再投稿した。これじゃ他の論文も見切り発車で「審査中」とか記しながら、実験結果を報告するような論文を出していくしかないかなぁと、どうせ審査中あたりで刊行決定するだろうけど、ということになる。

 

最初の手続きを自分の確認不足ですべり、ちょっとへこんだ。

 

でも、1月にはもういっちょ新しい尺度作成に向けて準備していくつもりだ。今月中には本の章もひとつあげないといけないが、調査と実験の準備もしないといけないから、あまりぼやぼやしないで冬休みを過ごす。

 

幸い、今年は息子も多忙なので、恒例の熱海にはいかずに東京に落ち着いたまま年末年始を迎え、息子のじゃまにならないように静かに書斎で作業しているのはうってつけだけど、居間でTV見ちゃっているかもしれない。

人違い!?【図書館戦争?】

昨日、結局ポロシャツは乾かなかったので、乾かない濡れたままファミマまで着ていって、そこでTシャツとおまけにYシャツも販売されていたのでそれを購入してなんとか無事電車に乗って家に帰れました。買い物帰りにちょうど雨が降り出して、「濡れてもいっしょだ~」とちょっと笑えましたが。

 

さて、今日も今日とてまだ授業開始前に熱心に出校しております。

書き上げた~と言っていた論文ですが、それはほぼほぼであり、あとちょっと問題部分の文献を整理して、表をきれいにしてと残っています。こういう雑事的清書がまぁ時間かかるもので本当はそれを終えてこそ「書き上げた」と宣言すべきものですが、あまりあとは頭を使う作業でもないので軽視しておりました。しかし、簡単だぁと思っていた問題部分の整えですが、意外に注意深く見ると怪しい記述、不確かな記述があり、それを正当化する文献が意外に見つからないということで手間取っているのです。こんなんじゃ研究者としてダメダメですね。精進します。

 

夏の間に借りていた図書を車で来た一昨日、ブックポストに放り込んできたのですが、それで全部なのか一応軽く確認する気持ちで校舎に入り際一階の図書館カウンターで確認しにかかったら、面倒な事件に!

 

自分の身分証の磁気情報を図書館の人がすってみたら、違う人の名前が!!!

 

これまで図書の借り出しはすべて自動借り出し機を使っていたのですが、最初と最後に変な名前が出るのは気になっていました。最初出たときはあれ機会に前の人の情報が残っているのかなとスタート画面を見ていて、再三借り出すとなんとなくそれが「同じ人」の名前に思えてきて???と思っていたのですが、たいていその瞬間は両手でいっぱい本を抱えているので一刻も早く研究室に戻りたくて、カウンターで確認しようとは思ってませんでしたし、まさかという意識もあったのです。

 

しかし、実際今回判明したのは、驚きの事実。この「違う人の名前」ではまだ返却されていない書籍が数冊(よりはちょっと多い感じ、具体的には書かない)あると。当然個人情報??なので、カウンターは口頭でさえそれはどの本とは言わないということで、

「わたしがその個人じゃん」と思うのですが、この段階では、これがアメリカならこれこそFBIマターでは!!(笑)(補足:ペンシルベニア州では新着の客員研究員も全員、過去のデータに児童虐待の記録がないこと、それにまつわるWeb質問に回答を入力することが義務付けられ、そのために学内でのFBI出先機関(郵便局)で両手の指紋を採取する手続きを施行して後日FBIから書面通知で「おまえは大丈夫なやつだ」という証明書が逗留住所に郵送されてくる(居宅に正しく住んでいることの確認にもなる):前のブログで詳細報告すみ)

 

なぜならそこに現れた名前をあとで研究室で検索するとなんと教員ではなくて、理事のお方だったのです! おれは理事の個人情報をスキムなんてしてな~い!w

 

そのあともろもろで図書館の人が妙に謝ってきたりで、なんとなく自分の借りているものはもうなさそうとわかったのだが、一方で見えてきた懸念は「私以外」にもこの磁気情報になっちゃっている人がいるということ!!

 可能性としては同時に今年着任した何人かあるいは全員の社会学部教員の教員証がこの〇〇さんの名前、情報になってしまっていると。

 これは、もう教員「証」、身分「証」になっていないですよね(笑)!

 

まぁTY大は出勤時のタイムカード的スキム(スライド)もなければ、授業時の出欠マシンもないから、図書館での入退室以外に使ったことないんで(もし某大学のようにクレジット情報ありだったらたいへん!)今頃見つかった(自分以外は見つかっていない!!)ということがわかった。

 

図書館からの連絡で人事課は対応したのか、あるいはすでに数日前に別の教員からこれが発覚したのか、驚いたことに人事課に出向くと、はいこれ新しい教員証と、用意がされていて(箱に数枚入っていることを目視)すぐ交換してくれた。少なくとも社会学部の何人かの新任教員に同じことが生じている模様で、「連絡かけてます」と事務職員は言っていたが自分には連絡来ていないから昨日か今日か(そう簡単にホテルの入室カードみたいに即座に作成できるのか謎だが)に発覚してすぐに用意したのだろうか?こういうの外注している気がするから、気づいてから1,2週間しないと日本国の効率悪い仕事ペースだとすぐ発行されない気もするのだが。

 

という驚きで自大学の総務的なミスをこんなところにあげるのは憚られることかもしれないが、まぁミスというのはつきものだし、深刻なこと(起こる可能性がわからないが)が生じる前に全員交換されるならいいのではということくらいだ。図書館、人事課の考察ではその理事さんが今それらの本を借り出している可能性は極薄であり、何人かの教員に今分有されているのではないかという見込みのようであるね。

 

個人が読む本、それは根本的に個人情報。読書、図書館利用の自由、蔵書の質は文化と自由社会の根本。図書館戦争はそのことを大きく描いてくれている。

(今回なんか私は日本で暗躍する海外犯罪グループ!みたいな本を借りていた、怪しすぎる・・・w)

くだらない失敗談:研究室で

中性脂肪が高くなったから食に気をつけていますというあたりまで以前のブログに書いていました。7月の血液検査でそれは下がったのはよくて、そのためにも炭水化物の摂取を抑えめにして、大学での昼食もサバ缶とか食べていたわけです。

 

今日・・・サンマのかば焼きの缶詰を開けようとしたら誤って、大量に汁を手前に飛ばしてしまいましたよ。手前にということは、着ていたものにぶっかかったということですね。

はいていたチノパンも盛大にやられましたが、実はこのチノパンこれだけではないただものではないのです。

関西にいたころ、ちょうどその日ゼミコンパの予定だった日、通常シャツの胸ポケットにさしているボールペン(授業中などにさっと使えるように)を胸ポケットがないシャツだったのでズボンのポケットに入れていたのですね。でも、どうしたことか、押されてペン先が出てしまったのか液漏れして、ふと気づいたらじわじわっと右ポケット周辺インクが染み出て黒くなってました。

 

まぁいくらか染み抜きしたのですが、わたしはからだのサイズが変化しやすいので、新たに購入する気にはならず、服装に頓着しないため、捨てずにはき続けておりました。

 

笹塚で息子のピアノレッスンが終わるのをロッテリアで待ち構えていたとき、フライドポテトのために、やぶいた紙袋の上に大量にしぼり出したケチャップを出していて、妻の「来たよ!」のセリフに慌てて、もう捨てようとざっと持ち上げてごみ箱に運んで入れようとした瞬間、手元が狂ってうまくごみ箱の入り口に入らずに跳ね返りケチャップを表に自分のズボンに跳ね返って・・・このチノパンがまたもやケチャップだらけになったのです。そのときはあとは車で帰るだけだったので店の人が用意してくれた濡らした布巾でざざっと下に叩き出すことをひととおりやって、家で入念に(妻が)洗ったらとれました。

 

しかし、その後、今度は大学院のゼミコンパで寿司を食べていたら、今度は醤油を垂らしてしまい、もうこのチノパンは呪われていると院生に語り、経緯の開示で笑いはとれたものの、関西実家では当然自分でぬれ布巾たたき、洗いなどを自分でやり、あとはもう一度洗濯機洗いを親に任せて(親の骨折前です)、だいたいとれたのだ。

 

アメリカでは違うチノパンをはいていたのだが、それは前のブログにあったように、8月とまった滞在型のホテルのランドリーで油がとび、おしゃかに。アメリカではほぼジーンズで済んでましたが、帰国後サイズが合うベージュのチノパンがないせいで、またはき始めたのだ。

 

で、今日のサンマ缶・・・。 もうだめですね。 ここまで持てば十分でしょう。

 

問題は上。最近Tシャツの上にシャツ(ボタンのあるもの)を着ていることが多いのですけど、なんと今日は、白のポロシャツを着ていたのです! 最近着れるポロシャツといったらほぼこれ一枚みたいな感じなので、これはやばいとトイレでついざっと洗ってしまい・・・・。

 

あ、着るものがない  と気づきましたw。

 

関西では、やや古めのシャツ、パーカー、セーターなどなんとなく余り物を研究室においていて、ときどき実家への負担軽減のため実家に泊まらずにホテルで泊まるときの着替えように随時、なんかいろいろ置いてあったのです。だからつい。

 

しかし・・探してみたら、研究室引っ越しにあたって、古いものは捨て、唯一置いてあったパーカーはこの間、箱根に行くときに夜は寒いかもと車に積んでいってそのまま自宅で洗濯してそれきりです。

 

ロッカーに2つジャケットだけあります。これは普段いいかげんな格好しかしていないけど、入試関係や急に必要があったときにとりあえず上着を着用するというために置いてあってネクタイも置いてあります。

 

普段のままのいつものように下がTシャツならっ!! それにジャケットはおればちょっと質として変ですけど、まぁ異常者ではなく電車にも乗れそうなもんですが、今、エアコンをあてて乾かし中のポロシャツの下には(着ていた)純粋下着のおじさん白下着U首ってやつです。なんか丸首ならごまかしてジャケット前もかぶせぎみで(挙動不審ながら)帰ることもできますが、こんなU首下着シャツではどうにもなりません。異常者として一瞬外に出て正門前のファミマで黒Tシャツでも購入してシャツの上にさらに重ねて来てジャケットはおることにするか・・・。

 

あと1時間でポロシャツが着れる程度に乾けばいいのですけど・・・。

 

余分の着るものは研究室に常備しておこう!

じゃなくて、サンマ缶やサバ缶はこぼさないように・・・。いやもう研究室魚くさいので、もう食べ控えた方がいいのか。 でも、まだサバ缶はまとめ買いしたのがまだ10個あります、あ~あ。

保養所で

ずっとここのPWが分からず、利用できていませんでした。そもそもどのメアドで開設したかが分からず、近頃はてなのサービスセンターに問い合わせてようやく分かり、そこからもメールが迷惑メールに自動振り分けされていたりでやや手間取りましたが、ようやく入れました。

 

昔、ICUや東大の授業での質問一括回答に使っていたサイトなのですが、一年間の在外研究から戻り「在外日記」というタイトルからは状況が変わったので、こちらのブログでときどき日々の雑感とか書きます。

よろしくお願いいたします。

 

さて、TY大の箱根保養所に来ております。のんきに3泊4日も温泉付き施設で過ごすことができる幸いで、台風もここでやり過ごしているうちに関西方面はたいへんなようで、電話で実家確認やらして、週末にはグルダイで神戸に行く予定でおります。必要そうなら片付けなどもする予定。

 

さて、いつもやっていて気づくあれこれもあり、いろいろ学期準備やたまった仕事で忙しいこの時期、息子の研修合宿期間を利用して箱根に行こうと連れ合いが言い出した時は、いやいやそれはまずいだろう、何で?!と思ったのですが、年来そういうときは言うことを聴く約束になっているので、まぁなんかいいことあるかもと思い来たわけです。

 

確証バイアスかもとよく思いつつも、自分の視点からは見えない事態について、連れ合いは勘がよいので、あとでそうかそうなっていたのか、それでかと理由や利点に気づくことも多いのでとりあえず言われたことをやってみるという方法で30年間おります。だいぶ途中で抵抗や大喧嘩も含めてではありますが(たいていこちらが屈服する)。

 

さて、夏の間、連れ合いもだいぶ体調悪いし、まだ手のかかる息子の日常的な世話にも疲れ果てるわけですが、家で休むという手があるはず。

 

しかし、来てみてわかったのは、家だと結局、庭の手入れしたり、日々洗濯、掃除したり(私もするが)、二階建ての家で上がったり下りたり、日々に何度となく、往復したり(つれあいは今足を痛めている)、結局、足が治らないわけです。

 

ここ保養所では家事がなく、のんびりと休め、温泉に入ることができ、余計な作業をしないですむので、確かに本当に養生することができるのです。それで、つれあいは香道の毛筆を練習しております。

昔子どもが小学生の頃、よくここの保養所を利用しましたが、正月に来て、学校の宿題の「書初め」を何枚も練習して書きまくっていたのを思い出します。こういうのは家でやるとスペースも必要で大騒ぎになるので、スペースの広い旅館というか保養所で半紙を広げてやるにはぴったりです。今回は小さい半紙で済んでますが。

 

それで、実際自分も仕事を研修室でしていたら、普段よりも早く効率的に論文も書け、査読も進み、本も読めるというわけです。

 

ただ、こちら今回の目的は足を痛めているということもあり、箱根はいつもさんざんうろついていたから今更珍しくもなく、観光のつもりはほとんどなく(宿から芦ノ湖が見えているので十分景色を堪能)、籠っていればいいのですが、4年前からゴルフ場から転じてこの保養所の管理をしているという年配のおじさんは、こちらが活動的にでかけないことを案じて、台風が来ている間は誰もがやむをえない状態だったわけですが、一応晴れた(しかし強風は吹いている)この状態で昼飯も(今日は晩飯も)注文をしていない状態で宿の部屋にとどまり続ける行為が不思議のようで、どうぞお出かけをと盛んに言うから、2時か3時くらいになったらまぁ出かけて、食べ物買ってきていいと思ってたけどどこかで夕食済ませて帰ってくる方がいいかなと案じているところです。

さてさて。

紅白見てたら、ホントつくづく「歌」よりもエンターテインメントだと如実に変化を遂げてきたなぁと思います。「国民的番組、行事」という位置づけをあくまで保持しようとするなら出演者もいろいろ工夫が必要なわけですが、あまちゃん関連を見ていると、どうもあまちゃんひとつで宮藤はそれを軽々とやってのけた感がある。

 

このあまちゃん紅白を見ながら、テレビを囲む多世代が小泉や薬師丸をみつつ、交流のできる会話が全国あちこちで交わされているかと思うと、人をつなぐのは「記憶」とリニューアル、記憶への新たな意味づけなのだと感じた。

 

おまけに潮騒・・の歌詞に出てくるジョニィの高橋真梨子が女性トリとはできすぎ。ジョニィへの伝言を歌うのかと思った。でも綾瀬の練習言い間違い報道でジョニイへの遺言といったというのはどこの箇所になるのかな?

 

 

秘密保護法案その2

特定秘密保護法案を弁護する人は、何でも秘密にするものではない、戦前の社会に後戻りするわけではない、国民にわかりやすく説明する必要がある、などと言います。

 

しかし、アメリカ等から軍事的秘密を提供され、共有するために仮に喫緊に何らかの対処が必要だと安倍首相が判断したとしても、それではとりあえず、国防、軍事上の問題にまず限定した法律を、対象を明確化して作成して審議すればよいだけです。それがないから、また、(支持していないが)維新の会が主張するような省庁の限定を拒否して強引に通そうとするから余計にこじれるわけですね。

 

現況の日本において最低限必要な措置が何かを冷静に考えて、それに対応すればよい。一旦制定すると「他の秘密を作れなくなる」という心配をしたい人びとには、(望まないけれども)条文の後の但し書きなんかで、これによって秘密となされる事項が本法律によって制定されたことに将来にわたって限定されることを宣言したものではない。他の必要時においてはそれごとに新たな法が必要であるかどうか国会で審議を行っていくとかなんとかを書き込んでおけばいいだけで、対象限定的な法律を制定することを合理的に妨げる、反対する根拠にはなり得ません。

 

いずれにしても論理的に考えれば、今回の制定は無理強い、無理押しの部分が多過ぎて、「ついでにここまでやっちまえ」といった非常に乱暴で粗雑な法律になっていることを見逃すことができないと考えます。